「はい、おにーちゃん」
「サンキュ」
毎年恒例、美弥からの手作りチョコレートを受け取って、高耶は礼を言った。
昨晩、遅くまで台所でバタバタやっていたのを知っていたから、お疲れさま、とも言っ
てやる。
テーブルの上には同じ包みがもうひとつ。
「お父さんは帰ってきてから食べるって」
「ふうん。………じゃあ、あれは誰にだよ」
リビングのソファに置かれた美弥の通学カバンの横に、高耶が貰ったものよりひとまわ
り大きい、しかもかなり気合の入ったラッピングのものが置かれていた。
「へへ、内緒」
「オレもそっちがいいな」
「中身は一緒だもん」
美弥はそれを大事そうに鞄にしまうと、
「じゃあいってきます!」
と元気よく言って家を出て行った。
ひとりになった部屋で、高耶は小さくため息をつく。
美弥はもう、朝、遅刻するよと高耶を起こすことはしなくなった。
暗示がよく効いているらしく、この時間になっても高耶が登校の支度をしていないこと
に疑問すら抱かないようだ。
とはいえ、今日は別に調伏旅行へ行く予定がある訳ではない。
本来ならきちんと登校すべきなんだろうが、
(行く気がしない)
今更あの退屈な授業を受けて、何になるというのだろう。バレンタインではしゃぐクラ
スメイトたちと顔を合わせたところで、気まずいだけだ。
(ひとりでいるのが一番楽だ)
もう誰かの顔色を見て気を揉んだりするのは疲れた。
心の底からそう思った。
「あれ?森野さん?」
(ひいいいいっ!)
成田家のポストの前で、沙織は頬を引き攣らせた。
(黙ってポストに入れて帰ろうと思ったのに!!)
だからわざわざ学校では渡さなかったというのに、タイミング良く(いや悪く?)、譲
が玄関から出てきてしまったのだ。
手にしていたチョコはあまりにも大きいから隠すこともできず、
「あの……これ……」
とおそるおそる差し出すと、
「おれに?ありがとう」
譲は天使のほほえみで受け取ってくれた。
その笑顔に若干のぼせつつ、譲がどこかへ出掛ける格好であることに気付く。
(まさか、女の子と会うとかっ?)
「どっ、どこかでかけるところ?」
「うん、高耶のところ。今日は家にいるはずなのに学校来なかったから、様子見に行こう
かと思って」
「ああ、そっか……」
このところ、仰木高耶は殆ど学校に姿を見せない。
詳しい事情は知らないが、たぶん例の幽霊退治絡みだ。
「あ、じゃあこれ、仰木くんに渡しといてもらえるかなあ?」
クラスメイト用の義理チョコを、一応高耶の分も用意しておいたのだ。
譲のものと比べるとかなり見劣りはするが、きちんと手作りしたものだから心はこもっ
ている。
「高耶に?……ねえ、それなら一緒に行かない?」
「え!?」
「あいつ、きっと喜ぶと思うよ?」
「ええ?そうかなあ………」
正直、仏頂面しか思い浮かばなかったが、譲と一緒にいられるのならそれはうれしい。
「じゃあ、行っちゃおうかなっ」
沙織は精一杯の笑顔で譲に笑いかけた。
陽が沈むと、外気が急激に冷え込んでくる。
外も暗くなり、譲と沙織がやっと帰ったと思ったら、またしても訪問客があった。
「やっほー♪」
ライダースジャケット姿の綾子の手には、やっぱりラッピングされた小さな箱が握られ
ている。
「よっ、色男っ♪今日はこれで何個目?」
小さな箱を振って見せた綾子は、相変わらず元気そうだ。
「みっつ」
「冴えないわねえ!」
くれるものだと思って手を出した高耶に、綾子はそれを渡さずに言った。
「ねえ、夕飯まだなんだけど、付き合わない?」
「……金ねーぜ?」
「おごったげるわよ。付き合ってくれたらコレあげるからさ」
別に欲しくはなかったけど、この寒い中わざわざバイクで来てくれたものを無下ににも
できない。
「美弥が帰ってくるまでなら」
「じゃあ、あそこいこう!」
綾子は近所の居酒屋の名前を言った。
「酒、飲む気かよ」
「大丈夫、ホテルとってあるから」
上着を着込んだ高耶の腕を、綾子は引っ張るようにして歩き出した。
「こっちこっち!」
「なあにやってんだよ、お前ら」
「景虎ってばオレンジジュースしか飲まないんだもん」
急に綾子に呼び出された千秋は、面白くもなさそうな顔で座る高耶の前に置かれたチョ
コレートに目をとめた。
「おーお、いっちょまえにチョコなんか。収穫はいくつよ?」
「みっつ」
「けっ、しけてんな」
「そういうあんたは?」
「───ん?」
「しけてるわねえ〜。あ、板チョコでも買ってきてあげようか?」
「いらねーよ」
「………じゃあ、オレは帰るから」
「なにぃ?!」
目をむいた千秋には目もくれずに、高耶はさっさと帰っていった。
「何だよ、あいつ」
「私たちとじゃ、もう打ち解けて話したり出来ないのよ」
綾子は憂鬱そうな顔で言った。
「様子見に来たつもりだったに、逆にこっちが心配されちゃったわ」
それはまるで、上司として部下に接する態度だった。
しかもそれを当たり前だと思ってやっているのか、強がってやっているのか、綾子には
判断すらつかなかったのだ。前生以前の景虎のように、高耶は最近、人に心を読ませなく
なった。
「そんなの、強がりに決まってんだろ」
記憶を取り戻したからといって、精神年齢が飛躍的に上がるとは思えない、と千秋は言
う。
部下の前で、よきリーダーであろうと必死なはずだ。
「そうよね………」
だとしてもきっと、自分達には何かをしてやることは出来ないのだろう。
きっと高耶もそんなことは望んでいないはず。
「……あーあ、呑まなきゃやってらんねーなっ」
千秋はバサッとメニューを開くと、通りがかった店員を呼び止めた。
家の前まで戻ってきた高耶は、階段を上る手前で立ち止まってしまった。
自分はいったい、今日という日に何を期待してるんだろう。
ここに戻ってくれば、あのダークグリーンの車が家の前に停まっているとでも思ったの
だろうか。
今日は一日中、ずっとそわそわしていた気がする。
電話が鳴る度、チャイムが鳴る度に何かを意識していたと思う。
(馬鹿だ)
重い足を引きずるようにして、階段を上った。
「どこ行ってたの〜!」
友達と出かけていたはずの美弥は、もう家に戻っていたようだ。
「………わりぃ」
「うわっ、告白っ!?」
手にした綾子のチョコレートに、敏感に反応してくる。
「いや、義理」
「なーんだっ」
「美弥こそどうした、あのチョコ」
「へへ〜秘密だよ〜♪」
浮かれているところをみると、それなりにうまくはいったようだ。
安心したような許せないような、複雑な気持ちで笑顔を浮かべた高耶は、テーブルの上
に置かれたダンボール箱に眼を留めた。
荷送人欄の氏名をみて、心臓が跳ねる。
「あ、それおにいちゃん宛てで届いたの」
美弥は無邪気に尋ねてくる。
「橘さんって誰?」
それには答えることができずに、無言で箱を部屋へと持ち込んだ。
軽い割には大きな箱を、勉強机の上に置いてはみたものの、開けることができない。
自分の馬鹿な期待を、見透かされてるようで嫌だった。
仮にこれを開けてみて、見当違いのものが入っていたら?
何の飾り気もないダンボール箱。
あの男が現在調査中の事件に関する資料か何かかもしれない。
いや、何が入っていたって、心は軽くならない。
家族と、学校と、使命と、それから………。
机の上には、色も大きさも異なる箱が四つ、置かれている。
その四つの包みは、まるで高耶の今の悩みを象徴するかのようだった。
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